2011年7月にはじまった東京都による芸術文化を活用した被災地支援(Art Support Tohoku-Tokyo/ASTT)。事業を立ち上げから担当してきたプログラムオフィサーの佐藤李青さんが、この10年の経験を、11の出来事から振り返った。

地図とノートとわたし

2011年6月、東京都は東日本大震災に対して『緊急対策2011』を策定。その一環として、東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業(Art Support Tohoku-Tokyo/ASTT)がはじまった。医療などと同様に、芸術文化の分野でも何か支援ができないか、という試みだった。著者の李青さんは、この前例がない事業を10年間担当してきたプログラムオフィサーである。

プログラムオフィサーとは、企画の立ち上げから運営まで、現場のスタッフに伴走する中間支援の専門職だ。アメリカなどの助成団体において、プログラム設計から運用を担う専門スタッフが起源。現場の状況を理解しながら、政策や助成プログラムとの「間」に立ち、必要な仕組みづくりを行っている。

公的な資金を使って、10年間に渡り、芸術文化の分野で支援を行う。しかも、既存の何かを持ち込むのではなく、地域と対話を重ね、食文化や御神楽、ただ集うことなどそのときどきに現場が必要とする文化的復興を支えてきた。その経験を記すというのは、関係者の願いだった。

李青さんは文章が書けるひとである。なので、本の位置付けや読者、もくじ構成、各章の役割や具体的なエピソードなどについて一通り話し合ったあとは、そんなに苦労せずにつくれるのではないかと思っていた。しかし、できあがった原稿はなんだかしっくりこない。しばらく悩んだあとに、森達也著『誰が誰に何を言ってるの?』(大和書房、2010年)というタイトルを思い出した。

プログラムオフィサーは、現場と日々のやりとりを重ねるため関係性は近いが、団体の外にいるのが特徴だ。外にいる一番近いひととして、事業そのものではなく、その事業が行われるための環境を整えていく。そのため、その語りには観察者としての態度があり、場に介在しない描写が多い。もちろん、実際には主客の曖昧な中動態的な状況は多いだろう。でも、誰が誰に何を言っているかわからない文章に、ひとのこころは動くだろうか? そこで、単著であることも踏まえ、できるだけ「わたし」という主語のある文章を書いて欲しいと伝えた。それから半年間は、ふたりの編集が原稿を読んでフィードバックをするということをひたすら繰り返した。最終的に、書き手のまなざしを通して、これまで出会ってきたひとたちの存在を感じる原稿になったのではないかと思う。

装丁は、文字通り地図を広げて歩みを進めてきた手探りの知見が伝わるよう、李青さんが使っていたノートのような仕様にして、地図や本人の手書きの文字をあしらった。写真のキャプションを端ではなく真ん中に置くというのは、デザイナーの加藤さんのアイデアだ。それがタイトルのように見えることで、記録写真としての事務的な印象が薄れ、写真一枚の存在感が上がった。こうしたちょっとした積み重ねが、一冊を通した読書体験に大きな影響を及ぼす。ページをひらくと手に感じるしなりには、ひとりきりで読むのにちょうどよい親密さが生まれていると思う。

『震災後、地図を片手に歩きはじめる Art Support Tohoku- Tokyoの10年』

著者

佐藤李青(アーツカウンシル東京)

編集

川村庸子、高橋創一

装丁

加藤賢策・奥田奈保子LABORATORIES

印刷

株式会社八鉱美術

発行

アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)

発行日

2021年3月11日

URL

Art Support Tohoku-Tokyoウェブサイト(PDF公開中)

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